第15回「アジア太平洋フォーラム・淡路会議」国際シンポジウムの概要

写真:第15回国際シンポジウム会場風景

プログラム
  • 日時
    2014年8月1日(金)
    13:00~17:10
  • 場所
    兵庫県立淡路夢舞台国際会議場
    (兵庫県淡路市夢舞台1番地)
  • テーマ
    「阪神淡路20年 次なる大災害に備えて-企業・関西・国際-」
  • 内容
    • ○開会挨拶
      井植 敏
      アジア太平洋フォーラム・淡路会議代表理事
    • ○歓迎挨拶
      井戸 敏三
      兵庫県知事
    • ○来賓挨拶
      マヌエル M・ロペス
      駐日フィリピン共和国大使
    • ○第13回アジア太平洋研究賞(井植記念賞)授賞式
    • ○淡路会議開催趣旨説明
      五百旗頭 真
      公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長、前防衛大学校長
    • ○記念講演

      「防災・災害救援における国際協力:助け合いと学び合い」

       
      講師: 河原 節子
      (一橋大学大学院法学研究科教授)
      「トモダチ作戦とその後-アメリカ人から見るその教訓と課題-」
      講師: ロバート・D・エルドリッヂ
      (海兵隊太平洋基地政務外交部次長)
       「企業の災害リスク管理~日産自動車の取り組み~」
      講師: 菅原 正
      (日産自動車株式会社 グローバル内部監査室 主管(コーポレートリスクマネジメント))
    • ○コーディネーター
      村田 晃嗣
      同志社大学学長

シンポジウムでは、井植敏 淡路会議代表理事による開会挨拶、井戸敏三 兵庫県知事による歓迎挨拶、マヌエル M・ロペス 駐日フィリピン共和国大使による来賓挨拶、アジア太平洋研究賞授賞式に続いて、五百旗頭 真 ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長による淡路会議開催の趣旨説明が行われ、そのあと、村田晃嗣 同志社大学学長をコーディネーターに、3名の講師による記念講演が行われました。

各記念講演の要旨は以下のとおりです。

◇記念講演「防災・災害救援における国際協力:助け合いと学び合い」の要点
講師:河原 節子(一橋大学大学院法学研究科教授)

アジア・太平洋地域は、自然災害による被災者数が世界全体の80%以上、死者数では60%以上を占めるなど、最も自然災害の影響が大きい地域である。自然災害による経済面での被害額は近年増加しており、先進国だけでなく途上国の被害額が増加している。経済成長に伴い、都市化が進み、港湾や河川沿いの地域への投資や経済活動が拡大し、経済面での被害が拡大している。我が国も多くの大規模災害に見舞われ、その経験を自国での防災努力に生かすのみならず、アジア地域やグローバルな防災力に大きく貢献してきた。

自然災害による被害最小化のために防災が重要なことは論をまたないが、いったん災害が生じた場合に、人的被害を最小化するための災害救援体制も重要である。世界各地における地震、津波、洪水といった大規模自然災害に際して、国際社会が協力して災害救援を行ってきた。特筆すべきは、そのつど、真剣な反省がなされると共に、教訓が導き出され、グローバルな理念、制度及び基準について改善努力が重ねられてきたことである。スマトラ沖地震・津波(1994年)では、多様なアクター(支援主体)間の調整の困難が生じた結果、国連人道支援改革が行われ、水、食料の提供、避難所の整備などの分野ごとに関係機関を調整するクラスター制度が導入された。また、ルワンダ等アフリカでの内戦(1990年代後半)では、多様なNGOが活動する中で質の低い支援が行われるという問題が生じたため、NGOが中心になり、1人当たりの水の量・居住スペース等、人道援助の最低基準を定めたスフィア・スタンダードが設定された。

2011年3月の東日本大震災に際しては、約130もの国や機関からの支援を得た。日本は、支援への感謝の念と共に支援を受けた側の責任として、海外支援受け入れに当たっての経験を国際社会と共有し、国際的な災害救援の枠組みに関する改善策につなげる必要がある。検討すべき課題の一例としては、海外からの救援物資の輸送や一時保管の仕組みがなかったことや、国内外及び官民の様々なルートによる支援の全体像を把握して、調整するメカニズムがなかったため、被災自治体の負担が大きかったことがあげられる。

更に、今回の経験から、災害救援に際してのニーズ・アセスメントや支援の質に関する最低基準(1人当たりの居住スペース、トイレ等)など、国際的に広く活用されている手法や基準が我が国において十分認知されていないことが明らかになった。将来の災害への備えという意味でも、こうした国際的基準を研究し、役立つものは積極的に取り入れていく姿勢が重要であろう。

これまでの助け合い(mutual assistance)に加え、学び合い(mutual learning)をより活発にするために、政府のみならず、自治体、市民、NGO、企業関係者、研究者等のさまざまな立場の人々が討議し合い、改善策を見つけていくことが求められている。

◇記念講演「トモダチ作戦とその後― アメリカ人から見るその教訓と課題―」の要点
講師:ロバート・D・エルドリッヂ(海兵隊太平洋基地政務外交部次長)
  1. トモダチ作戦が成功した理由や背景

    トモダチ作戦では、在日米軍に明確な任務が与えられていた。人道支援および災害救援活動を実施し、さらなる死者数増加や被害の拡大を未然に防ぐために日本政府を支援することである。沖縄を拠点とする海兵隊は、管轄するアジア太平洋地域のほとんどの災害に派遣されており、このようなことに最も優れた能力を持っている組織だといえる。

    そのときまで自衛隊と米軍が日本国内の防災訓練に共同で参加することはほとんどなかったにもかかわらず、トモダチ作戦が大きな成功を収めたのには、幾つかの背景がある。

    まず、日本人が社会的・法的秩序を守る、我慢強い国民性を持っていること、東北の人々が強い自立心を持っていることである。また、日本が先進国で、行政、インフラ、法的制度、経済、医療、自衛隊、特に阪神・淡路大震災から確立してきたボランティア体制が非常によく機能していたおかげで、大きな二次災害に発展しなかったことも大きい。

    さらに、日本政府は阪神・淡路大震災の時と違って、早い段階から国際的な支援、特に在日米軍の活用を要請した。また、自衛隊が人道支援・救援活動、災害派遣の経験を多く持つプロフェッショナルな組織として国民から高く評価されており、活動しやすい環境が整っていた。

    日米の連携に関しては、在日米軍が前方展開しているために、非常に早い対応が可能であった。さらに、60年以上の長きにわたる日米安全保障同盟により、防災の訓練・演習の経験はなくとも、組織間に強い協力関係が構築されていた。自衛官と米軍関係者との間に非常に強い信頼関係・人間関係が結ばれていたこと、アメリカ国民の日本への友情や同情も、成功の一つの要因といえる。

    トモダチ作戦に関する日本政府の対応は素晴らしいもので、柔軟で迅速な決断を行い、必要と思われる協力を全面的に行った。次の震災の時も、そのような迅速な対応ができる政権であればと思っている。

  2. トモダチ作戦中の諸課題

    一方で、課題もあった。東北の厳しい寒さにいかに耐えるかが大きな課題だった。

    自衛隊には、正確な情報収集とその伝達・共有について若干の課題があった。自衛隊や日本政府が米軍の能力を十分に把握していなかったために、米軍の持つ力の数パーセントしか発揮できなかった。

    米軍と自衛隊の間で、問題の認識や解決策の違いも見られた。具体的な活動の前に、何をどんな順番でやるのか、なぜそれをするのかという哲学的な議論をしておけば、急がば回れで、より早く解決できたのではないか。さらに、米軍は日本側の作戦・計画をあまり理解していなかった。これは秘密にしていたのではなく、教える必要があるという認識がなかったのだ。日々の調整はよかったが、全体的なコンセプトが見えなかった。

    もう一つは距離の問題である。救援活動においては、空港がなくても離着陸できるヘリコプターが重要な役割を果たすが、東日本大震災当時、沖縄から仙台まではヘリで数日間かかった。現在、配備されているオスプレイであれば数時間で行ける。

  3. 次なる震災に備えて

    次の震災は、日本政府の対応力をはるかに超える規模になり、のんびりと準備している時間はない。平時から在日米軍と、被害が想定される自治体、NGO/NPO、市民との間に顔の見える関係を構築しておくことが重要である。また、日米調整所をどこに設置し、誰がそこに派遣されるかを今から決めて連携しておく必要がある。

◇記念講演「企業の災害リスク管理~日産自動車の取り組み~」の要点
講師:菅原 正(日産自動車株式会社 グローバル内部監査室 主管(コーポレートリスクマネジメント)

日産自動車における全社的なリスク管理の取り組みは、同社が1990年代後半に見舞われた深刻な経営危機からの再生のプロセスと深く関係している。経営危機からの復活を遂げた後の次なる中期計画としては「持続性ある成長」を目指すこととなるが、そのためには効率性を追求するだけではない、いわば「足腰を鍛える」といった備えが必要となる。そのような環境変化に対応すべく、全社的に経営を巻き込んで取り組んだ初めてのケースが地震対策であった。この提案が経営に承認されるまでは丸3年の時間を要したが、これによって、(リターンが必ずしも明確ではない)リスク対策のための投資が初めて認められたという、同社にとって画期的な事例となった。

その後、国内外で様々なインシデントを経験したが、それらを教訓に一つ一つ経験を積み重ねていったことで、同社の取り組みを単なる地震対策からBCP/BCMと言えるレベルにまで引き上げることができた。

2011年3月の東日本大震災は同社に対しても多大な影響を与えたが、これまでの取り組みが功を奏してその影響を最小限にとどめることができた。一方で、津波のリスクや、南海トラフ3連動地震といった、より厳しく見直された新たな被害想定、2次3次以降のサプライヤーも含めたサプライチェーン全体の管理の必要性など、当時は想定していなかった新たな課題も明らかとなった。BCP/BCMのさらなる強化を図るため、南海トラフ3連動地震や津波を前提条件に入れたシミュレーション訓練の実施や、生産部門での耐震補強の継続的実施、災害時のロジスティクス対応強化等を図った。また、サプライチェーンを見える化(サプライヤー情報のデータベース化)して迅速な初動対応に活用するほか、自己診断チェックリストを展開するなどしてサプライヤーとWin-Winの関係になれるよう工夫している。

また、2011年度には次なる新たな中期計画もスタートしたが、その達成のためには、リスク管理の取り組みの対象範囲もグローバルに広げていかなければならない。現在、中期計画の達成をより確実にするために、新たに顕在化している諸課題についてもグローバルに取り組みを進めているところである。

同社では、全社的なリスク管理活動の強化を通じて同社の持続性ある成長をサポートし、様々なステークホルダーに対する経営者としての責任を果たすと共に、企業価値を向上させることも目指している。

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