シシンポジウムでは、井植敏 淡路会議代表理事による開会挨拶、井戸敏三 兵庫県知事による歓迎挨拶、アジア太平洋研究賞授賞式に続いて、阿部茂行 同志社大学政策学部教授による淡路会議開催の趣旨説明が行われ、そのあと、窪田幸子 神戸大学大学院国際文化学研究科教授をコーディネーターに、4名の講師による記念講演が行われました。 各記念講演の要旨は以下のとおりです。
人間そっくりなものを作っていると、アイデンティティとは何かという非常に大事な問題を考えさせられる。それがロボット社会の本当の意味だ。そういう意味では、人間を映す鏡としてロボットそのものが文化になるのではないかと思う
2.人間型ロボットの実例
ヴイストンというベンチャー企業では、音声認識やチャットボットのシステムと組み合わせたロボットを作っている。音声認識はまだ改良する余地があるが、応用も考えられる段階になってきた。 ゼンショーグループでは、レストランで案内用のロボットの実証実験を行っている。このロボットがあると、みんながロボットをきっかけに話すようになる。ロボットには、バーチャルな世界に偏り過ぎた今の情報メディアの世界を、少し現実に戻すような役割があるのではと思う。
3.なぜ日本はロボットが強いか
ロボット研究に関して日本が強い全ての理由は島国仮説に集約される気がする。日本は貧富の差が非常に少なく、人を区別することもなければ、ものの区別もない。故に万物に魂が宿るといわれる。また、ものづくりにプライドを持つ。 日本のように人口が多く、人口密度も高く、平和で貧富のない世界は奇跡に近い。これが日本でロボットが強い理由だと思う。
4.アンドロイドで表現できること
私が作っているアンドロイドで、アンドロイド演劇というものが行われている。ここで最も重要なことは、お客さんが普通に感動するということだ。 アンドロイドは人間の文化的な側面に刺激を与え、心とは何かということを考えさせてくれる。今まで科学技術は人間と離れたところで進歩してきたが、これからは心や意識、感情といった、より人間に近い、深い問題が研究の対象になってくると思う。 既に亡くなっている、桂米朝師匠や夏目漱石のアンドロイドも作った。アンドロイドの研究は人間理解の研究だけでなく、芸術や文学とも深く関わっている。
5.自律的に対話するアンドロイド
自律的に対話するロボットの研究も行っている。チャットボットと、人間型の多様なモダリティを持った私のアンドロイドを組み合わせた例では、非常に人間らしく迫力のある対話システムが実現している。
6.まとめ―ロボットは日本の文化である
こうした技術を積み重ねていくと、近い将来、ロボット社会ができる。人間と技術が組み合わさったところで何か文化がつくれるのではないか、さらに言えば、ロボットだけの文化もあり得るのではないかと想像している。いずれにしろ、ロボットは日本の重要な文化であり、それが人類の文化に発展していく未来が見えると楽しいのではないか。
文化には、何か仕組みやモードがあるはずだ。それはカルチャーコードだ。 世界中にいる人を人と物の関係でパターニングをしてみると、異質なものに対する態度と、同質なものに対する態度で、人間を四つに分類できる。
まずは横軸に、異質なものに対するA and BかA or Bかというカルチャーコードがある。
一つ目がA or Bだ。一発でA or Bのどちらかを選ぶカルチャーがある。何となく欧米的なものだ。
対概念としては、A and Bという概念がある。選べない、なぜ選ばないといけないのか、どちらも取ったら駄目なのかという、少し日本的なものだ。
縦軸は同質なものに対する態度だ。全部欲しいという、more is betterな反応をする人と、質素に選ぶ、less is moreな反応をする人の二つのパターンがある。
それぞれが分かり合えるかどうかというと、まず、隣同士は分かり合える。
面白いのは対角で、これはほとんど分かり合えない。ただ、あまりにも違い過ぎるので、興味があって吸収できるという、非常に面白い位置関係にある。
やはりカルチャーのコードがあって、理解できる、できないということがある。
このモデルが正しいかどうかは分からないが、少なくともこれで説明できることがあり、ここから生まれるものがたくさんある。
重要なポイントは、我々はカルチャーの違いをシステマチックに理解しないといけないということだ。定性的に話しているうちはハンドリングできない。テクノロジーとカルチャーとフューチャーに触るのであれば、そろそろシステマチックに理解しなければならない。
2.提言
そこで、提言1は、「カルチャーに理論を」。
我々はカルチャーに対して論理のメスを入れなければならないタイミングにある。そこが理解できていないと、達成しようと思うことが達成できない。
提言2は、「知的システムに愛情を」。
知的システムと人間と社会はどういう関係にあるのかということについては、現時点で知的システムとの関係に結論を求めない方がいいのではないか、というのが私の理解だ。
アジアパシフィックの人たちは、コンプロマイズしながら、バランスを取りながら、ときにはシンプリファイするカルチャーを持っており、実は知的システムを育てていくのには最もいいカルチャーである。
このように、カルチャーなのに理論を、そしてテクノロジーなのに愛情を持って育てる、ということをアジアパシフィックでやっていくというのが私の提言である。
石黒 ロボット研究をしていても文化差を感じる。何かはっきりしたタスクに関して確実に仕事ができるロボットがA or Bの方で、中途半端にどのタスクもそこそこやるロボットがA and Bの方だ。A and Bの方は人間型ロボットに非常に近い。
濱口 システムというのは、インプットとアウトプットがある横方向のタスク指向と、システムを規定するために必要な目的と評価で構成される縦軸がある。
これからのAIを考えていく上で最も重要なのは、将来AIが自分で目的を発見し、それを評価できるようになるという縦軸だ。
アメリカなどは宗教的にやりにくいと思うが、日本人はできる。AIの面白いところは、縦軸の曖昧な部分をどうやって組むかということだと思う。
石黒 意図や欲求を持つロボットの研究では、まさにそのオブジェクトのところを埋め込むなり、部分的にそれを作ること目指している。それがないと人に適応できない。
濱口 アジアの人たちがやらないといけないのは、横方向のタスクだけではなく、縦方向だ。
石黒 アメリカはタスク指向で、何か明確な評価基準を出す必要があるので、評価基準が曖昧なまま、様々なことができるとか、人間と親和的になる、というのは受け入れてもらえる気がしない。
濱口 時代にもよると思う。今はまだAIは固定化されていないので、あらゆる可能性を試さなければならない。そして全体の像を見つけてシンプリファイしていくということが必要になる。
石黒 ロボット研究をしていると、無理やりヨーロッパ型やアメリカ型の思考を持つ必要はないという気がする。社会の中ではアメリカ型やヨーロッパ型の明確な基準が重要視されているので、そちら側を一生懸命やってしまっているのではないか。
濱口 カルチャーという単語でコミュニケートしているうちはコントロール不可能だと思う。間違っていてもいいので、今回のようにモデル化していって議論することが必要だ。
石黒 カルチャーは歴史の研究という印象になってしまっている。これまでの人類を分類したらこうなるという話であって、例えば日本型の人間を増やせるか、というようなところにシフトさせるための方策を考えられればと思う。
濱口 技術のパターニングやカルチャーのパターニングは、ロジックをつくっていかなければならない。
石黒 未来の人間・機械、人間・ロボット融合文化の道のりがデザインできればと思うが、それぞれの国で普及させるパスのようなものが違っていて、まだ見えない。
そもそも画像認識や音声認識は人間の機能をベースに目標値が立てられているが、人間は100%正しくないので、そういう論理は変な感じがする。
濱口 世の中のインターフェースは、移動上のインターフェースと、固定環境のインターフェースと、半固定環境のインターフェースの三つある。
この10年間で、モバイル状態でのインターフェースはAppleとGoogleが設計したもので全て牛耳られた。残された2カ所で、本当は日本を含めたアジアのどこかの国が頑張らないといけない。
石黒 音声単独のモダリティが何度も失敗しているので、ロボットのようなマルチモーダルなシステムが必要なのではないか。日本のようなA and Bを選択して、しかもless is moreが受け入れられる文化から、単なる音声認識を越えたインターフェースを作られる可能性を感じている。
私の普段の仕事には、まずグラフィックデザイン領域がある。ロゴマークや本などの平面のビジュアルをデザインする仕事だ。
また、空間デザイン領域の仕事がある。私はもともと建築家志望で建築学科を出ているが、あるとき、形と人の関わりのあるもの全てが建築的体験のように思えてきた。
そこで次第に他の領域のデザインもするようになった。
それから、プロダクトデザイン領域の仕事もしている。
このように、グラフィックデザイン・空間デザイン・プロダクトデザインの3本柱で活動している。
2.デザインは新しいものではない
実はデザインというのはそれほど新しいものではない。デザイン・造形とはあまり進化しないものなのである。
デザイナーは普遍的な形を追い求めていこうという意識が強く、その普遍的な形にたどり着いた暁には、その形は古びないという信念をどこか持っているように思う。
3.デザイナーの仕事とは何か
デザインの良しあしとは何か。
「DESIGN」の語源はラテン語の「DESIGNARE」で、「記号にする」という意味だ。デザインは形や記号に関わるので当然のことだが、なぜその形になったのかには意味がある。
従って、形を考えることはどのような関係をつくりたいかと不可分で、関係を良くする形を見つけることをデザインと呼ぶのだと、私は考えている。 何らかの理由が背景にあって、その理由とどれだけつながっていけるか、ということが、デザインを考えるということだ。
4.デザイン思考から進化思考へ
デザインという行為には、大きく分けて「関係を見つける」パートと、その関係にふさわしい「形を導く」パートがある。この二つは同時に起こらなければならない。
デザイン思考はこのうち「関係性を見つける」パートに非常に主眼を置いているが、それにふさわしい「形を導く」パートは達人的技術である。
関係と形を同時に考えることが重要なので、「形を導く」パートが不足しているデザイン思考は若干中途半端だと感じている。
現在のデザイン思考の構造には違和感があるので、もう少し形の理由に本質的にたどり着くような思考プロセスはないものかと考えている中で、最近、私が興味を持っているのが、生物はどう進化するのかという話である。
進化上に出てくる多様な形のバリエーションとデザインはつながっていると思われる。進化図を眺めていると、適切に進化していくための生物なりの型のようなものが見えてくる。そして、それとアイデアの発想は極めて似ている。 人が何か新しい物を作るのは進化したいからだ、と考えると様々なことについて私の中で決着がつくように感じる。
では、進化から見えてくるアイデアやイノベーションを生み出すコツ、私が使っている発想の引き出しを皆さんと共有したい。
実は、進化図というのは生物以外についても描くことができる。進化図を整理していくと、目的によって進化が変わっていっていることが見て取れる。
中に取り込んで共生していく、つまり融合というのはデザインにおいて極めて基本的な考え方である。形を変えずに融合を繰り返したいというのは、道具と進化に共通してある性質だ。
何かを理解するときは、一つ一つのパーツとその理由に分解すると良い。一つの構成要素により多くの機能性を持たせられないかを考えることは、良いデザインを問うことにとても近いものだ。
既存のものの形あるいはスケールを変えることで、新しいものができる。形を少しだけ変えることは、進化コストが少なくて済む。進化コストが少ないということは、アイデアにおいてもコストが少ないということである。
色やパターンを変えることは、恐らく極めて進化コストの低い生き残り方だ。また、アイデアの発想としても一番簡単なものだ。
私たちの生理に訴え掛けるものとは何かを追求していくと、導き出されるパターンは似てきます。従って、私たちが感覚的に良いと感じるもののパターンを理解しておくことは、とても大事である。
適切に外の力学が反映されているようなものを作ると、それを人は美しいと思う。 美を目指すと、どこかで論理的な構造と感覚的な美がつながってくるのだ。
流れていないところにその流動を生み出すことが、「イノベーションを起こす」と呼んでいる行為だ。つながっていない領域間にどうやって流れを生み出すのかということは、極めて大事なことであろう。
人間は簡単に進化することはできないが、何かを作ることができる。それは恐らくこの先に一歩でも進もうという、人間の本能である。また、どのような技術を使ったらそちらに行けるのかを考えるのが、私たち人間なのだ。
初音ミクは、人間の歌声を合成する技術を用いたソフトウェアで、当社がリリースした3番目のVOCALOIDである。また各々のVOCALOIDにはキャラクターを設定している。
先行したVOCALODと初音ミクとの違いは、リリース時に既に動画共有サイトがあったことである。したがって、初音ミクで作った曲の発表先は、ビジュアルを伴うインターネットメディアが中心であった。
そして、キャラクターがあったが故に、一つの作品から派生的に様々な作品が生まれてくる「創作の連鎖」が動画共有サイトを中心に広がっていった。
かくしてソフトウェアとしての初音ミクに加えて、キャラクターとしての初音ミクというものも知られていった。
2.創作のモチベーションを上げる取り組み
創作が広がっていくにつれて、著作物の権利の問題が生じてきた。原著作物としての初音ミクのイラストの権利は当社が持っているが、それをモチーフにした二次創作物がネット上で広がり、第三者がその二次創作物を使いたいという場合は、原著作物の権利を持つ当社と、二次創作物の作者の両方に問い合わせることが著作権法上のルールになっている。そこで、創作の連鎖を止めないような、煩雑ではない権利のクリアランスの制度の整備を考えた。それには、①当社が持っている原著作物の権利のクリアランス、②ファンが作ったファンアートの権利処理という、二つのことを行わなければならない。
①については、PCL(ピアプロ・キャラクター・ライセンス)を制定し、ネットに公開することで解決した。②については、「ピアプロ」という投稿サイトを作った。そして、投稿された作品を使った場合には、できるだけ「ありがとう」と言うことをマナーにした。これは、作り手にとっては、次の作品を作ろうというモチベーションにつながる。
このような、「創作の連鎖」が、「共感の連鎖」や「ありがとうの連鎖」になっていくというベースを最初の段階で作れたのは、非常に良かったと思っている。
3.商品化、各分野とのコラボレーション
世界規模で広がっていった、初音ミクで作品を作るクリエイターの中からは、音楽を作るスター、イラストを描くスターが出てくるようになった。
こうなると、クリエイターからは、その作品を商品にしたいという要望が出てくる。クリエイターの努力や創作した結果に報いることも必要なので、商品化の支援も同時に行っている。商品化は日本だけではなく、世界のいろいろな国で行うことが多い。世界的なブランドや国内の企業とコラボレーションすることもある。
初音ミクの曲は世界中で作られて、世界中にファンがいるので、iTunesやAmazonのインフラに乗せるためのレーベルを運営している。また、美術館でのアートプロジェクト、オペラ、オーケストラとのコラボレーションもある。
もともと初音ミクは歌声を合成する技術なので、テクノロジーとは親和性が非常に高いので、VRやロボットなど様々なジャンルの研究開発に活用していただいている。
4.初音ミクのCGコンサート
初音ミクは、ニューヨーク、シンガポール、台湾、香港など、海外の都市でコンサートを開いている。2014年にジャカルタで最初のコンサートを開いた。コンサート会場では、クリエイターが描いた初音ミクのイラストなどの展示に加えて、何かを作る体験や音楽の作り方を教えるワークショップも開いている。直近では、2016年に北米10都市をツアーを行った。
また、幕張メッセで、毎年「マジカルミライ」というイベントを行っている。ここでも創作体験、楽器体験、イラストを描くタブレット体験コーナーなど何かを作る体験を提供している。
また、初音ミクは、歌手、バレエ、和太鼓、歌舞伎など様々なクリエイターとコラボレーションすることも多い。
5.「初音ミク」とは結局何者なのか?
初音ミクを考える上で重要なポイントは、初音ミクが歌を歌う存在であるということだ。人種などのバックグラウンドを問わず、みんな悲しい曲は悲しく感じて、楽しい曲は楽しく感じるため、音楽は純然たる芸術だといわれている。
10代の女性が多いというのが初音ミクのファンの実態であり、ヨーロッパ・アジア・アフリカのどこのエリアでも大体同じである。
インターネットは国境を越えて世界につながっているので、初音ミクの歌声は世界に広がっていく宿命にあった。歌詞は分からなくても、その歌声が特に10代の女性の心を打つ芸術であったということが、初音ミクの一つの良かった点なのではないか
また、初音ミクと日本文化の人形浄瑠璃には共通点がある。CGとしての初音ミクは、それだけだと動かない。背景に多くのクリエイターが、初音ミクを躍動感高く動かそうと努力している。また、人形浄瑠璃も初音ミクも、市井のクリエイターがそのムーブメントを支えたという点で共通している。
このようなムーブメントを日本から発することができ、世界に対して大きくインパクトを与えているということに対して、面白みと誇りを感じている。