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HATコラム

研究調査本部研究統括 林 敏彦

1943年生まれ
京都大学経済学部卒業
スタンフォード大学Ph.D.同志社大学大学院総合政策科学研究科教授
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構研究調査本部研究統括

2005年に国連が発表した『人間の安全保障報告』によると、第2次世界大戦以後2005年までの間に、自国の戦場で亡くなった戦死者の数は全世界で1,010万人だったという。他方、ベルギーのルーバン・カトリック大学が運営する災害データベースによると、1950年から2009年までの間で、全世界の自然災害による死者の数は702万人である。

つまりほぼ同じ期間に、世界では戦争によって亡くなった兵士の7割に達する人が自然災害で亡くなっている。その自然災害についても、南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニアに比べて、東アジアとそれ以外のアジアの被害が突出している。日本に限って言えば、1946年以降の戦死者はゼロであるのに対して、自然災害による死者・行方不明者の合計は3万1千人だ。

それならば、国民の生命・身体・財産を守るための投資は事柄の重大性に比例して行われているのだろうか。日本の防衛関係予算と防災関係予算を比較してみたところ、図のような結果となった。防衛関係予算のデータは『防衛白書』、防災関係予算のデータは『防災白書』、いずれも政府の公式データだ。

驚いたことに、政府の防災関係予算は、1995年の阪神・淡路大震災後一時的に増加したものの、97年をピークに減少の一途をたどり、2010年度の水準は97年度の3割に過ぎない。これで災害多発国の国民生活が守れるのだろうか。




世界の趨勢を見れば、過去100年間、自然災害の発生件数は増加しているものの、人的被害は減少傾向にあり、代わって経済被害が増加している。これは、一般に経済発展の恩恵を表していると考えられている。つまり、経済発展によって社会の所得や資産蓄積が進めば、その社会は防災対策、建物の耐震性、インフラ、都市計画、社会制度などに投資する余裕が生まれ、災害に対する「耐性」が向上する。そのため、災害が起こっても人的被害は押さえることができる。しかし、社会の耐性を上回る災害が発生すれば、蓄積された資本ストックを中心に経済被害額は大きくなる。

日本でも、95年の阪神・淡路大震災を除けば、自然災害による人的被害は長期的に低下していた。しかも、阪神・淡路は都市型の災害で、人的被害も大きかったが、経済被害はさらに大きかった。こうしたことから、日本の防災投資については一種の政策的慢心があったのではないだろうか。阪神・淡路は例外で、一般的には防災投資を抑制しても大きな被害は出ないだろう、と。

もちろん政治情勢もこの傾向に拍車をかけた。国際比較において、日本は例外的に公共事業の比率が高い、と財政学者をはじめ多くの識者が指摘した。民主党政権は、これからの政策はコンクリートから人へ重点を移すとして、事業仕分けによって不要な事業を整理し、民生安定化を求めるソフト事業に注力しようとした。それは高齢化、人口減少の日本社会にとって必要なことだ、と多くの国民が理解した。

しかし、ここに自然の力に対する侮りはなかっただろうか。私たちは、高度な経済発展を遂げた日本では、災害が来ても人は亡くならない、という暗黙の前提を置いていたのではなかっただろうか。災害はいつでも社会の最も脆弱な部分を襲う。今回の東日本大震災も、襲われたのは、東北の農業や漁業だけでなく、私たちや、それを受けて動く政治の慢心ではなかっただろうか。

自己中心的なものの考え方や科学技術への過信を反省することと並んで、事実を冷静に見つめ、すべての前提や仮定を疑い、安全安心社会の建設を目指すためにはどうすればよいか。それをこれからも考え続けたいと思う。