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HATコラム

まちの記憶を重ねる

人と防災未来センター震災資料研究主幹 牧 紀男(

牧 紀男
人と防災未来センター震災資料研究主幹


1968年生まれ
京都大学大学院工学研究科環境地球工学専攻博士課程指導認定退学。博士(工学)
京都大学大学院助手、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、防災科学技術研究所地震防災フロンティア研究センター研究員等を経て、
京都大学防災研究所都市防災計画分野教授
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構 阪神・淡路大震災
記念人と防災未来センター震災資料研究主幹

東日本大震災の被災地を訪問する機会があり、仙台から岩手県大槌町まで車で通り抜けた。震災から4年が経過し、被災地の再建はようやく「目に見えるもの」となってきている。津波に対して安全なまちがつくられ、不自由な仮住まいでの生活が解消につながる再建工事が進むことは良いことである。しかし、その風景を見て同時に「うーん」と考えることがあった。それは、復興事業が完成しても人が戻ってこない、といった難しいことではなく、その場に立って直感的に感じたことであった。

「完全に新しいまちにつくり直すのか」
 復興が進む東日本大震災の多くの被災地域では、斜面を切り崩して高台が造成され、平地では盛土が行われ災害前のまちの姿・津波被害の風景が完全に失われている。あの災害の辛い経験を消し去りたい、災害のことを思い出させるような風景は見たくない、という被災地で暮らす人の想いは十分に理解することができる。その一方で、災害であったことは事実であり、その事実を消すことはできずその記憶と共に生きていく必要がある、とも思う。災害の痕跡を残さない、今の言い方で言うと一回「リセット」したような形でまちを再建するということはどうなのかな、と考えたのである。

しかし、よく考えると災害復興ではこれまでも「もう震災の痕跡が見つからないこと」は「良いこと」として語られてきた。災害の痕跡がすぐ消されてしまうのは日本だけである。他の国では通常、壊れた建物はまず壊すのではなく、どう再建するのかの結論が出るまで(数十年という時間がかかる場合もある)は、被災したままの姿で残されている。災害の痕跡がなくなることは「良いこと」と考える、大変なことをなかったことにする・したい、というのは、「水に流す」という言葉を持つ日本の文化的な背景が影響しているのかもしれない。

日本では、火災や地震がまちを更新する機会として機能してきたことは間違いない。もしかすると、日本では災害がまちを更新する唯一の方法だったかもしれない。実際、阪神・淡路大震災でもまちが被害を受け・再建され、高齢化が進んでいたまちに若い人が入ってくることで、地域が若返ったということもある。しかし「壊れたら作り直す」という方法の背景にあったのは「成長・発展」は良いことだ、という価値観である。

この価値観では、新しいもの=良いもの、であり、古いものが壊れたら新しく建て替えるのは当然のことであり、疑うことなく災害で壊れたものを取り去ってきた。高度成長・バブル期を経験した1960年代生まれの私は「成長・発展」の呪縛から逃れられずにいるが、もう「成長・発展」は良いことだ、という時代ではないということは分かっている。理路整然とは説明できないのであるが、東北の復興で良いなと思うのは、昭和・チリ津波で高台移転をした地域の復興である。全く新しくするのでなく、過去の津波の経験を経て造られた高台の住宅地の中に、今回被災した人の住宅を建設し、昭和・チリ・平成の災害の記憶・教訓をまちに刻み込んでいっている。何回もの津波の経験を経て、だんだんと津波に強いまちになってきたという記録が、まちの空間に刻み込まれている。言葉に比べて実際の空間・ものの持つ力は強い。

辛かった経験を完全に消し去るのではなく、次の世代への警鐘として残していくようなまちづくりが、本当に安全なまちをつくっていく上で必要である。西日本では南海トラフ地震の発生が懸念されている。東日本大震災を踏まえ、安全なまちをつくるために、うれしかった経験も辛かった経験、防災のためにがんばってきた活動を、物理的な空間・モノとして残していく、人口減少時代の新しい防災まちづくりのあり方を考えていきたい。